最高裁判所第三小法廷 昭和47年(行ツ)69号 判決 1974年9月20日
上告人
加藤ナカ
外四名
右五名訴訟代理人
伊達利知
外四名
被上告人
世田谷税務署長
小林義弘
右指定代理人
貞家克己
外六名
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人伊達利知、同溝呂木商太郎、同伊達昭、同沢田三知夫、同奥山剛の上告理由第一点について。
一相続税法(以下「法」という。)によれば、相続税は、相続又は遺贈によつて取得した財産(以下「取得財産」という。)の価額の合計額をもつて課税価格とするが(法一一条の二)、相続開始の際被相続人の債務で確実と認められるものであるときは、その金額を取得財産の価額から控除する(法一三条一項、一四条一項)。そして、右取得財産の価額は、当該財産の取得の時における時価により、また、取得財産の価額から控除すべき債務(以下「控除債務」という。)の金銭は、その時の現況によるものとされている(法二二条)。これらの規定に徴すれば、相続税は、財産の無償取得によつて生じた経済的価値の増加に対して課される租税であるところから、その課税価格の算出にあたつては、取得財産と控除債務の双方についてそれぞれの現に有する経済的価値を客観的に評価した金額を基礎とするのであり、ただ、控除債務については、その性質上客観的な交換価値なるものがないため、交換価値を意味する「時価」に代えて、その「現況」により控除すべき金額を評価する旨定められているものと解される。したがつて、控除債務が弁済すべき金額の確定している金銭債務の場合であつても、右金額が当然に当該債務の相続開始の時における消極的経済価値を示すものとして課税価格算出の基礎となるものではなく、あたかも金銭債権につきその権利の具体的内容によつて時価を評価するのと同様に、金銭債務についてもその利率や弁済期等の現況によつて控除すべき金額を個別的に評価しなければならないのであり、かくして決定された控除すべき金額は、必ずしも常に当該債務の弁済すべき金額と一致するものではない。
所論は、法二二条の定める債務の評価は、債務として確実に存在するもののうち、係争中の損害賠償債務などのように相続開始の当時まだ弁済すべき金額の確定していない債務についてその弁済すべき金額を確定するためのものであつて、弁済すべき金額の確定している債務については改めて評価をする余地はないと主張する。しかし、控除債務の金額を評価する趣旨は前記のとおりであり、所論は右評価に関する法の建前と相容れないものといわなければならない。すなわち、所論のあげる弁済すべき金額の確定していない債務の評価についていえば、評価の対象となる債務は確実と認められるものにかぎる(法一四条一項)のであるから、右のような弁済額未確定の債務は、弁済すべきことが確実と認められる金額の限度で法二二条にいう取得財産の価額から控除すべき債務として評価の対象となるものであり、そのような金額の債務として評価した結果により、控除すべき金額がきまることとなるのである。所論は、右の点を誤解するものというほかなく、採用することができない。
二そこで、弁済すべき金額が確定し、かつ、相続開始の当時まだ弁済期の到来しない金銭債務の評価について考えると、その債務につき通常の利率による利息の定めがあるときは、その相続人は、弁済期が到来するまでの間、通常の利率による利息額相当の経済的利益を享受する反面、これと同額の利息を債権者に支払わなければならず、彼此差引きされることとなるから、右利息の点を度外視して、債務の元本金額をそのまま相続開始の時における控除債務の額と評価して妨げない。これに対し、約定利率が通常の利率より低い場合には、相続人において、通常の利率による利息と約定利率による利息との差額に相当する経済的利益を弁済期が到来するまで毎年留保しうることとなるから、当該債務は、右留保される毎年の経済的利益の現在価値の総額だけその消極的価値を減じているものというべきであり、したがつて、このような債務を評価するときは、右留保される毎年の経済的利益について通常の利率により弁済期までの中間利息を控除して得られたその現在価額(なお、右中間利息は複利によつて計算するのが経済の実情に合致する。)を元本金額から差し引いた金額をもつて相続開始の時における控除債務の額とするのが、相当である。通常の利率より低利の債務を負担する関係は、これを経済的にみれば、一方において、通常の利率による債務を負担すると同時に、他方において、通常の利率による利息と約定利率による利息との差額に相当する給付を毎年受けるのと同様であつて、この場合には、債務の元本金額をそのまま控除債務の額と評価する反面、右の毎年受けるべき給付については、その現在価額を取得財産の価額に算入し、両者の差引きによつて課税価格を算出することとなるが、先に述べた低利の債務の評価減ということは、経済的には、右のような各別の評価による差引計算を債務そのものの評価として行うことにほかならない。
三これを本件についてみるに、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)によれば、上告人らの被相続人である加藤伊助は、昭和二九年一月二八日株式会社三越から一億二九〇〇万円を利息年一分の約定で借り入れ、同三七年一一月七日その弁済期までなお五一年を残して死亡し、本件相続が開始したが、当時の通常の利率は、金融市場の趨勢からみて年八分とするのが相当であつた、というのである。そうすると、上告人らは、右相続債務につき年一分の約定利息を支払つてもなお、弁済期までの五一年間毎年借入額の七分(通常の利率と約定利率との差)である九〇三万円相当の経済的利益を留保しうることとなるので、これについて年八分の複利計算により五一年間の中間利息を控除した現価を元本金額から差し引くと、一八三五万三三六五円となることが計算上明らかであるから、これをもつて相続開始の時における本件債務の評価額とすべきである。
しかるに、原審は、右利率差によつて生ずる経済的利益の額を元本金額から差し引いたものが本件債務の評価額となることを認めながら、右差し引くべき経済的利益の額の算定については、通常の利率と約定利率との差である年七分の割合により中間利息を控除すべきものとし、結局、本件債務の額を四〇九万二六五〇円と評価している。しかし、右経済的利益について中間利息を控除するのは、それが弁済期までの間通常の利率で運用されることを前提とするものであるから、本件においては年八分の割合によつて計算するのが当然であつて、これと約定利率との差によるべき理由はなく、原審の計算方法は、誤りといわざるをえない。してみると、原判決は法二二条の規定の解釈適用を誤つたことに帰し、右誤りが判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その違法をいう論旨は理由がある。
よつて、その他の論旨に対する判断を省略して原判決を破棄し、更に審理させるため本件を原審に差し戻すこととし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(関根小郷 天野武一 坂本吉勝 江里口清雄 高辻正己)
上告代理人伊達利知、同溝呂木商太郎、同伊達昭、同沢田三知夫、同奥山剛の上告理由
第一点 原判決は相続税法第二二条の解釈を誤つて居り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背が存する。
一、原判決の援用する第一審判決は相続債務の評価について弁済期未到来の金銭債務は「その金銭債務が通常の利率による利息の定めがあるものであれば、債務者が弁済期までに享受する経済的利益は弁済期までに債権者に支払うべき金利の総額と相等しく、その現実の支払いによつて帳消しとなる勘定であるから、その債務については金利の点を考慮せずに元本の金額そのままに評価して妨げないが、これに反し、金銭備務が無利息のものまたは通常より低利率による利息の定めがあるものであれば、債務者が弁済期までに享受する通常の金利相当額の経済的利益は弁済期までの通常の金利相当額のうち現実には利息として支払いを要しない分に相当する額だけ弁済期が到来しても残存する勘定であつてこれによつてその債務の消極的価値を減している」と述べている。
しかしながら、相続債務の評価については相続税法上相続開始時の現況による(同法第二二条)と定められているのみであつて、相続開始時の現況によつて評価するとは、債務として確実に存するもののうち(同法第一四条)、係争中の損害賠償債務や主債務者・連帯債務者の弁済見込が不確定の保証債務・連帯債務・求償債務のように未だ額の確定しない債務について相続開始時の現況によつてその額を評価することを指称するものであり、弁済すべき額の確定している金銭債務については更めて評価する余地はなく、弁済期未到来の金銭債務について債務者(相続人)が弁済期までに享受する経済的利益を考慮して評価する根拠は全く存しないのである。
原判決及びその援用する第一審判決は弁済期までに享受する経済的利益の差異によつて弁済期未到来の金銭債務の評価は異なるとし、債権者間の利害調整のための議決権の評価(例えば会社更生法第一一四条)の場合と同様の考え方を示しているが、相続債務の評価は相続財産の相続税課税価格の算出のために為されるのであつて、例えば甲相続財産と乙相続財産の間に財産(債務を含む)の評価方法に差異があつては固よりならないが、甲相続財産の相続人の方が乙相続財産の相続人よりも相続債務について弁済期までの経済的利益が大であつても、それは金持の乙相続財産の価格が貧乏人の甲相続財産の価格より大であると同様、或はまた甲相続財産には長期無利息の貸付金債権があり乙相続財産にはこれと同元本額の短期高利息の貸付金債権がある場合と同様に当然にして止むを得ない現象であり、弁済期未到来の債務に限つて相続人が弁済期までに享受する経済的利益の差異によつて評価を異にする合理的理由は存しないのである。
相続税の課税価格を定める相続財産の評価については国税庁長官通達をもつて評価基準、評価方法が定められて居りその当否は別としても統一的な行政解釈によつて運用されて居るところ、弁済期未到来の相続債務については、通常利率によると低利率によるとはたまた無利息のものであろうと、弁済期未到来を理由として評価減すべきことは一切示されて居らず、したがつてまたそのような債務の評価減は本件を除き未だ為されたことなく、本件債務の評価減による相続税の更正処分・過少申告加算税の賦課処分は他にその例をみない独善的・恣意的な処分であり、かつて被相続人について所得税を課し得なかつたことに対する報復的な違法な処分であり、これを是認した原判決は破毀を免れないものである。
二、仮りに百歩を譲り、相続債務である弁済期未到来の金銭債務が通常より低利率による利息の定めのものであるときは評価減すべきであるとしても、原判決の援用する第一審判決が「さような債務については元本の金額から無利息または低利のため評価時以降弁済期までに生ずべきであつた債務者の経済的利益すなわち右のように利率の差によつて算出される中間利息を控除した残額を評価額とするのが相当である。」と述べているのは明らかに誤つている。
何となれば、第一審判決は「金銭債務が通常の利率による利息の定めがあるものであれば、債務者が弁済期までに享受する経済的利益は弁済期までに債権者に支払うべき金利の総額と相等しく、その現実の支払によつて帳消べしとなる勘定であるから、その債務については金利の点を考慮せずに元本の金額そのままにに評価して妨げない」と云つて居るのであるから、債務者が低利率とは云え弁済期まで現実に支払う金利について、これを通常利率による利息を以て換算した元本の額については、そのままに債務額として評価しなければ、通常の利率による利息の定めある債務を負担する債務者の場合に比し不公平である。即ち債務者(相続人)が現実に支払う金利を通常の利率によつて除して得られる元本相当額は、そのまま先づ債務額として評価すべきであり、次いで元本の金額からこの額を控除した残額について通常利率によつて算出される中間利息(単利計算)を控除して評価し両評価額を合算した額をもつて債務の評価額とすべきである。しからざれば相続人は弁済期まで通常の利率による経済的利益を享受できず低利率とは云え現実の利息の支払を為すことが出来なくなるからである。
右の評価方法を算式で示せば次のとおりである(債務の元本額をA、通常利率をR、約定利率をr、弁済期をn年後、現在の評価額をXとする)。
三、また原判決の援用する第一審判決は中間利息中間利息の控除に当り「複利計算の方法によつて中間利息を算出するのが現下の社会経済情勢に適合するものというべく、また、その計算の基礎たる通常の金利の利率として年八分を採用しても近次の金融市場のすう勢上あながち不当とはいい難い。」と云うが、一般国民の経済生活を無視するも甚しいものである。昭和三十七年当時都市銀行における一年もの定期預金の利息は年五分五厘でありこれに対し一〇%の源泉所得税が課せられるから預金者の手取額は年四分九厘五毛にすぎないのである(現在はこれよりも更に低額である)。弁済期までに享受する経済的利益といつても、それはあくまでも観念的な利益であり、元本債務の運用等の現実的な利益ではないのである(債務に対応する取得資産は財産として評価済み)。相続税関係において年八分の利率や複利計算が採用されているのは何れも将来の収益財産の現在価格を算出する場合(即ち相続財産として控え目の評価になる)であつて、相続人に有利に作用するものであるが、債務の評価にこれを採用するときは相続人に不利益に作用することとなり、一般国民に対し定期預金の金利以上の経済的利益と財産運用のあることを予測する現実離れの利率や計算方法であり、この場合の通常の金利の利率としては年五分をもつて最高というべく、また単利計算によるべきである。
第二点 <省略>